裁判の問題点
よくわからない逮捕起訴は置いといて、今回は裁判、特に高裁の判決の問題点を説明します
この事件では、術後の女性患者の胸から、外科医のDNAが抽出され、唾液の成分であるアミラーゼも検出されたと報道されました
証拠鑑定を行ったのは科学捜査研究所ですが、驚いたことに、DNAの検量図などのデータを残しておらず、検体は鑑定後に破棄したと証言しているそうです
そのため、一審では証拠能力不十分とされました
しかし高裁は「本件アミラーゼ鑑定、本件DNA型鑑定および本件DNA定量検査の結果は、科学的な厳密さの点で議論の余地があるとしても、A(患者さん)の原審証言と整合するものであって、その信用性を補強する証明力を十分有するものと言える」という判断に至っています
正直申し上げて、これが意味不明なのです
科学の最も重要なポイントは再現性です
医学の論文は一般的に「背景・目的」、「方法」、「結果」、「考察」の順に書きます
方法で大事なのは
誰でも施行可能で、誰がやっても同じ結果になるであろう、なるべく確実な方法
を提示することです
自分が1回だけできた検査というのは、妄想と同じです
臨床研究で、「○○のデータを基に解析を行った。なお、解析後にデータは全て破棄した」などと書かれていたら、どうかしているとしか思えません
第三者が同じことを行って確かめることができないよう、自ら再現性を捨ててしまっているわけです
当然、そんな論文は科学的価値が乏しいので受け付けられません
信用性どうこう以前の問題です
判決文にある
「検証可能性の確保が科学的厳密さの上で重要であるとしても、これがないことが直ちに本件鑑定書の証明力を減じることにはならない」
というのは大きな誤りです
「検証可能性を確保することが、鑑定結果に対する信頼性を更に高めることにつながるとしても、これが欠けているからといって、その信用性が直ちに損なわれることにはならない」
という判決文は、科学への挑戦そのものです
この裁判官は、STAP細胞の存在も無条件に信用しているのでしょうか
これでは科学捜査ではなく、科学操作です
これが通れば、何でもありになります
幻覚は難しい
僕としては、この度争われている事象について
「わいせつの事実がなかったらいいな」
とは思っていますが、衝撃を受けたのは、科学の敗北とも言える判断についてです
前回書いたように、この事件は「明日は我が身」感がとても強いのです
入院患者さんの管理をしていれば、せん妄について考えない日はないくらい、とてもありふれた病態です
患者さん「そこにいるのは誰ですか? 」
僕「え? どこですか?」
患者さん「天井に女の子が……」
こんなホラーな幻覚も日常茶飯事です
今回の事件で、ありふれた日常以上の何かがあったのならば、ちゃんとしたプロセスで事実の証明をしてほしいのです
正当なプロセスを無視するのであれば、幻覚と現実の線引きは行われなくなってしまいます
なお、本人は幻覚を見ているという自覚はないので、100%事実として認識しています
治癒後も明確に幻覚で見た内容を思い出せる人もいらっしゃいます
というわけで、幻覚ではなく事実であると裁判官が信じてしまいさえすれば、いつでも僕らは犯罪者になってしまいます
患者さんの見る幻覚に僕が登場していなかったり、登場した僕が加害行為をしていないのは、単なるラッキーだと考えています
対策は非常に取りにくいものです
本件は、被害者とされる側、加害者とされる側、どちらかの肩を持つつもりもありません
強いて言えば、どちらにも不幸になってほしくありませんし、僕も不幸になりたくありません
即日上告されましたので、裁判の行方を見守ろうと思います
最高裁の判断が、同じく科学を蔑ろにするものであったなら、いつか自分に身に同じことが起こるかもしれないと、恐れながら過ごすことになります
「薬剤の副作用について事前にしっかりとした説明をすべきだった」
とか
「常に複数人で対応すべき」
とか
様々な意見があることも承知していますが、救急では特に、そうはいかないことも多いです
それでも、できる限りの説明を尽くすこと、入院時にせん妄のリスクをしっかりお話する必要性を、後輩には伝えていこうと思います
また、せん妄の患者さんにメンタルケアが行き渡るように、日々できる範囲で活動していこうと思います
僕らにできるのはそれだけです